初詣
2018/01/05
1月5日 仕事始め
練馬店スタッフで氷川神社に初詣に行きました。
今年の祈りは「今年は病気が治ります様に」とお願いしてきました。
おみくじは「小吉」でした。。。
石神井郷総鎮守 石神井 氷川神社
この石神井氷川神社は、石神井郷の総鎮守社です。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む全域の鎮守(守り神)です。かつてはこの地域は、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の五つの村からなっていました。本社はその各村民より、長きに渡りあつい崇敬を受けてきた神社なのです。今日なお、一般に「石神井のお氷川さま」呼ばれ、親しまれています。
氷川神社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図絵』等の諸本に、その社名が明記せられていることからも分かります。また、現在する御手洗鉢(社殿の西側、末社の前にある石造りの鉢)にも、「石神井郷鎮守社」と刻まれています。
神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。
当時の豊嶋氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりであったと伝えられており(現在の「豊島区」という地名は豊嶋氏に由来するものです)、石神井城はその領地の西方を護る砦でありました。また同時に豊かにして貴重な水源地である、石神井池(現在の三宝時池)を護る意図もあったと伝えられています。しかし、やがて豊嶋氏は大田道灌に攻められ、善戦するもその甲斐なく退却を強いられました。そして遂に文明九年(一四七七)四月十八日、道灌により石神井城が攻略され、城主豊島泰経(やすつね)とその息女・照姫は池に身を投げて自害されたのです。
石神井城落城とともに、栄華を誇った豊嶋氏は勢力を失ってしまいました。豊嶋氏滅亡の悲劇は、今も「黄金の鞍と照姫の伝説」として語り継がれています。
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練馬店 リフォームプロデューサー
OKUTA LOHAS studio 所沢店 真家忠吉のブログです。
25歳から「住宅リフォーム」に携わっています。
この経験を活かしご満足頂けますよう 頑張らさせていただきますのでよろしくお願い致します。
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