LOHAS studio
村井崇吉@OKUTA
2024/12/29
こんにちは。
諏訪家の家計その2として、今回は男はつらいよ第11作、「寅次郎忘れな草」から。
この作品は、寅さんシリーズでの絶対的マドンナである浅丘ルリ子さん演じるリリーが初登場します。
浅丘ルリ子さんはこの後も4回リリーとして物語に登場するほど、寅さんのとっての永遠のマドンナともいうべき存在です。
その記念すべきリリーシリーズ第1作目としてファンの間でも名作として語り継がれております。
私も大好きな作品の一つです。
今回の物語では、的屋稼業に身をやつしている自身の存在に対して人としてのささやかな幸せを感じられないのではと疑い、北海道で酪農している家に押し掛けるというシーンがあります。
結局大変ハードな農作業で体を壊してしまい、却ってその農家の人々に迷惑をかけ、最終的にさくらが迎えにいくという顛末になるのですが、今回のさくらたちの出費はでかいと思いました。
寅さんが働いてた酪農の牧場は網走市卯原内というところにありました。地図で見ると北の海岸線付近に位置しています。映画のシーンでは、おそらく青森まで電車でいき、そこから船で北海道にいき、電車を乗り継いで、最後は地元の方に車で送ってもらっているではと思われる、かなりの長旅です。
昭和49年当時の、上野~青森までの旅費は運賃で7400円、+特急料金で3000円、寝台列車を使ったら更に+4000円でした。また青函連絡船の乗船料は、詳細は不明ですが、昭和63年の廃船時で2000円だったようです。さくらが函館まで船でいったのか、苫小牧や釧路まで船でいき、そこから電車でいったのかは不明ですが、おそらく大人一人の片道で東京から網走まで当時の料金で2万円はかかっていると思われます。ましてや帰りには寅さんと一緒に柴又まで帰っているので、大人二人分の運賃で6万円以上出費している計算になります。
昭和49年当時のサラリーマンの平均年収が約182万円といわれております。博はタコ社長の印刷工場で働いています。年収は決して平均より高いとは思えない職場と思われます。さくらは基本専業主婦ですが、たまに洋服の仕立てや手直しで少し内職的なことをしてたりしてるようですが、それでも概算で想定される諏訪家の月収は10万円程度かと思います。この状況で寅さんを北海道まで迎えにいくのに月収の半分以上を出費している形になるわけです。普通の大人なら帰りの運賃だけ書留等で送れば、出費は2万円程度で済んだはずですが、わざわざ迎えにいくところが兄を思うさくらの優しさでもあり、それをすすめる亭主である博のふところの広さなどがこの物語を豊かにしている所以でもありますね。
さくらはこの後、お世話になった(事実上迷惑をかけた)酪農の一家に小包でお礼の(謝罪の)品を送っています。映画のシーンではその家族たちが服や靴、参考書など取り出していて、とても喜んでいるのが見えます。心がじんわり暖まるよいシーンですね。
ここでもおそらく5000円以上はかかっていると思われます。
ラストでは、寅さんが失恋してまた旅に出る際に、さくらが上野駅まで寅さんのカバンを届けに行くシーンがあります。そこでもさくらが寅さんに5000円ほどお金を渡してました。
最終的な集計では、この物語だけでも諏訪家の月収の7割ほど寅さんのために出費されていることになりますね。あきらかに貯金を切り崩さないとやっていけないレベルの出費です。
ただ映画の中では(当たり前ですが)この出費を手痛いと思うそぶりは全くないです。それよりも大切な事があると思える、そんなさくらや博の家族への愛の深さを感じれる作品です。
この年末年始、もしお時間があれば是非触れていただきたいと思いますね!
今年も皆様お世話になりました。
また来年もよろしくお願いいたします。
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